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2006年7月14日 (金)

がんの診断まで (闘病記1)

医療事故、誤診、医療過誤・・・こんな言葉を新聞やテレビでしばしば見聞きする現代と違って、わたしが小児がんになった頃にはこんな言葉を目にする事はあまりなかったでしょう。でも、わたしが入院したのは「白い巨塔」の田宮二郎によるテレビシリーズが放送された少しあと、田宮二郎さんが自殺したのは自分が入院中の出来事でした。続白い巨塔を原作にしたこのドラマの後半は医療訴訟が目玉だったわけですが、この時代はまだ現実味の薄いお話だったんでしょうね。
わたしに病気の徴候が現れたのは小学校6年生の夏の終わりでした。今思えば「耳管閉塞」の症状です。耳鼻科を受診して「中耳炎」の診断で通院。しばらく通ったもののよくならず、他の病院を受診してもやっぱりよくならない。3軒目は親が大きな病院にと、市立病院の耳鼻科に連れて行かれました。でも、診断は異常なし。わたしが症状を訴えると、「おかしいと思うのがおかしいのだ。」とDr。そこまで言われては引き下がるしかありません。それからしばらくして咽喉に違和感を感じて鏡の前で口を開けてみると・・・。腫れた扁桃でほとんど咽喉が塞がっている状態でした。近所の内科を受診して、抗生剤を飲んだものの変化なし。異常なしと言われた市立病院の耳鼻科に手紙を書いてもらって再び受診することになりました。今度は即入院予約です。症状が現れてから3ヶ月以上が経っていました。当時の医療は現代とは比べ物になりません。CT、MRIなんてない時代に腫瘍を見つけるのは困難だったでしょう。でも、子どもの訴えとはいえ、真摯に耳を傾けてくれていればきっと診断に到る事はできたはずです。これが自分と医療との関わりの出発点でした。

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コメント

久しぶりにお邪魔させてもらいます。
昔に比べて今では病気の診断も迅速かつ正確になったと思います。医療機器の性能も良く、発見するのが困難な難病も見つけやすくなったと思います。
私の娘はALLの白血病だったのですが、体調を崩し病院にかかってから大学病院で診断が出るまで一ヶ月ちょっとかかりました。
体調を崩して市内の個人病院で受診していたのですが、熱が上がったり下がったりと一向に良くならない。それどころか熱が上がる度に娘が弱っていくので不安になりました。個人病院の先生に「風邪ではなくもっと別の大きな病気ではないか?」と聞いても「同じ病気が原因で熱が上がったり下がったりすることはない。薬を飲んで熱は下がっているのだから、薬は効いていて診断も間違っていない。」と言われました。
この病院では娘の病気は治らないと思い個人病院に見切りをつけて、市民病院に受診しました。そこでも一度は「風邪」と診断され家に帰りました。そのとき娘の体温は42度もあり、本当にしんどそうでした。あまりに心配だったので、翌日再度市民病院に行き、今度は「一ヶ月も体調を崩した状態で熱も高い、子どもも弱っていてとても不安だ」と必死で訴えました。それで医師に「まぁ、ただの風邪で心配はないと思うけれど、一応血液検査でもしてみましょうか」と言われました。少しでも治療に進展がある、と思い「是非に」とお願しました。
採血からしばらくして、娘は救急車に乗せられ大学病院に搬送されました。
症状が出てから診断が付くまで一ヶ月ちょっと。結構大変でした。
「かかりつけの病院」や「一次医療、二次医療、三次医療」などいろいろな案が出ていますが、もっと医療、患者、行政のコミュニケーションが必要だと思います。

投稿 みきママ | 2006年7月19日 (水) 15時44分

ブログではお初ですね。
小児科医としての視点だと、かぜを1ヶ月に何回も繰り返す子はたくさんいます。弱っている時に病院に行くと次の感染をもらってしまうことはよくありますね。心配なお母さんは何度も病院に行きますからますます感染の機会を増やします。こんな中に白血病や他の慢性疾患の子が混じってくるのは確かです。小児科医の側から言い訳すると、かぜで受診した子みんなのリンパ節や肝臓腫大を確認するのは大変なことではあります。
当たり前ですが、よいコミュニケーションはお互いの話をよく聞くことからはじまりますね。

投稿 管理人 | 2006年7月21日 (金) 13時09分

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