« 2009年4月 | トップページ | 2009年7月 »

2009年5月28日 (木)

プラス思考な次男

子どもを連れて地元のサッカーチーム・コンサドーレの試合観戦に出かけました。
最近すっかりファイターズファンになった息子はサッカーにはほとんど興味がありません。地元厚別の今季初戦ということで一人で行ってこようと思ったら、なぜだか自分も行くと言います。聞くとコンサの選手は一人も知らないらしい。でも、今季から夢プランファミリーシートなる席があって子どもは無料、保護者もお安く観戦できます。子どもを連れて行った方が安く観戦できるわけですし、まあいいかと一緒に出かけました。

ここまで子どもが観戦したコンサの試合結果は3戦3分け、すべて引き分けです。
この日の対戦相手は東京ヴェルディ、元コンサ戦士で元日本代表の大黒を擁するチーム。実力はほぼ同じと見ていいでしょう。

試合は厚別の強い風に慣れているコンサが終始優勢な展開。先制点を奪い、追加点を狙いにいくも入らず。終盤、東京に退場者が出てコンサの勝利は濃厚となったものの、今季は終盤の失点が目立ち安心はできません。そして後半ロスタイム、ダニルソン棒立ち!ボールを奪われ大黒にこの日唯一のシュートを決められてドロー・・・

子どもの観戦試合はこれで4戦4分けとなりました。
さぞやがっかりかと思ったら、「4回見て4回とも引き分けなんて、ちょっとすごいんじゃない」と次男。何がすごいんだかさっぱりわからんよ。「1回も負けてないし」と、こいつの頭の中にはオレ観戦試合の不敗神話ができてるんか?

さらに・・・「今日一番うれしかったのは大黒が手を振ってくれたことかな」だと。(注・・・大黒はこっちを見て手を振ってたけどオマエにじゃない思うぞ)
たいしてコンサに思い入れのない次男にとっては、元日本代表大黒の活躍の方が印象的だったわけね。

うすうす感じてはいたものの、次男のプラス思考には恐れ入るばかり。やっぱり人生プラス思考の方がお得ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年5月17日 (日)

小児の臓器移植

このブログの前身であるHPを立ち上げのは日本で臓器移植法が成立してからまもない頃でした。臓器移植について当時思ったことを書いたのを覚えています。

長い間たなざらしになっていた子どもの脳死臓器移植が再び議論されています。きっかけは世界保健機関(WHO)が海外での移植の自粛を促す指針を出したこと。これまで日本では15歳以上でなければ臓器提供の対象となりませんでした。ですから、体の小さな子どもへの心臓移植などは国内では事実上不可能でした。

マスコミを通じて海外での臓器移植を行うために募金活動が行われているの目にする機会はしばしばありました。心臓移植を行うためにアメリカ、ドイツなどに渡った日本の子どもは数十人に上ります。アメリカでは心臓が余っているから日本の子どもにも提供されるかと言えばそうではありません。アメリカ人の子どもが移植待機中に亡くなっているのが現状です。その中で海外での移植が制限されることは仕方ないことと言えるでしょう。

最近の新聞、ニュースで時おり子どもの脳死について取り上げられています。移植を受けられずに子どもを亡くしてしまった家族、脳死と判定されながら何年も心停止とならずにいる子どもを持つ家族、どちらの家族の想いも子を持つ親であれば理解できるものです。

わたしにとっては、日常の仕事の中でも経験することです。脳死となりながらも心臓が動き続け、体はどんどん成長して大きくなり、歯も生えてくる。そんな子どもを目の当たりにして子どもの強い生命力を感じることもあれば、移植でなければ生き延びることができない子どもに出会うこともあります。想いは複雑です。普段からそんな現場にいる自分でもクリアカットに結論を出すのは難しいと感じます。医師としての科学的な部分では脳死が人の死だと理解できますが、実際に脳死の子どもと接し、自分の子どもにそれが起こったとしてどうかを想像すると理屈ではどうにもならない想いも湧き上がってきます。

世界基準で考えれば脳死は子どもにおいても死とするのが常識です。脳死と判定されながら自発呼吸が再開した例なども報告されていますが、意識が回復することはありません。従来の心臓死では、死亡宣告のあとほぼ完全に回復した例が存在しますから脳死の方が厳密な死であるのは間違いないでしょう。

仮に日本でも子どもの脳死移植が認められたとして、恩恵を受けられるのは移植を必要とする子どものごく一部にしかなりません。でも、少数であっても生きるチャンスをあげたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年5月 1日 (金)

NICU増床

昨年から妊婦、新生児の受け入れ困難事例が相次いだことが社会問題となっています。その中で妊婦を受け入れられない理由の半数以上がNICUベッドの不足であることが徐々にクローズアップされることになりました。

NICUで働くのは小児科医の中でも新生児を専門にする新生児科医です。通常、小児科医としての修行を終え小児科専門医を取得し、そこから新生児専門医としてさらに修行をすることになります。自分が新生児専門医としてある程度独り立ちできたと思えたのは医学部を卒業してから10年以上経ってからです。

北海道は地理的に非常に厳しい条件を持っています。首都圏であればNICUと呼ばれるところには専門医が数人、その下に修行中の若者が数人。どんなに少なくても5人、多いとこでは10人以上のスタッフを抱えています。(そうじゃない所があるのも承知していますが)しかし、北海道の地方ではほとんどの施設で専門医は1人だけ。(他の小児科医が助けてはくれますが・・・)札幌ですら専門医1人のNICUが存在します。

どこもそうですが、北海道もNICUが足りない。ほとんどの時期は問題ないのですが、患者数には波があります。まれにやってくる大きな波に耐えられるNICUベッドはないのが実情です。社会問題化したことで、NICUを増やそうという動きが広がっています。国からも市からもお金がやってきます。でも多くのお金は機械にしか使えないお金・・・人件費になるお金はもらえません。まあ仮に人件費になるお金をもらえたとしても新生児科医がいないんですけどね。大学でNICUを増床するにあたり、「地方から医師を引き上げることはないように」とのお達しです。

ならどうしろと・・・新しく育てろってことですよね。

必要なのは新生児科医だけではありません。看護師にとってもNICUは非常に高度な専門的知識を必要とします。重症児を看るにはかなりの期間を要します。

本日からうちのNICUも増床して再スタートです。行政は責任を果たしたことになり、マスコミは自分たちの報道のおかげでNICUが整備されたと自画自賛・・・。

NICUでの仕事は本当にやりがいがあります。それだから、がんばっていられるんですけど。でも、連休が1回もないGWの勤務表を眺めていると・・・何とも言えませんね。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

« 2009年4月 | トップページ | 2009年7月 »